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それぞれの、一年先の道

by Love in Qushu

高木悠未と大庭彩歌。
共に5月生まれということもあって、一年前は土曜に大庭ちゃん、日曜にゆうみんと週末に両方の生誕公演をまとめて見ることができた。

奇しくもそれから一年。同じ土曜ではあったけれど、二人の生誕を一年前と同じように一回の週末で両方見ることができた。公演日は5月26日───そう、あの中野サンプラザから一年(厳密には一日違い)である。一年前は、二人がこうして生誕公演を開く未来など描けなかった。

そして、この二人の公演はいわば一年たってのそれぞれの道のりであり過程というもの、そしてさらにその違いというのが明確に出ていた気がした。

大庭ちゃんの生誕は直行便の関係で二部から入ったけれど、そもそも二部制というのが彼女らしかった。一部は念願の初のソロライブ、二部はトキヲイキルのメンバーが揃っての公演で、つまり個と仲間という二つの対比が興味深かった。私たちは一人でもあると同時に、一人ではない。しかもその仲間というのが、LinQを離れて新しい道を切り開いている仲間たち、である。その絆が何より感じられてきた。

しかも二部は生演奏での本人のソロもあり…これは振りを作ったりトキヲイキルをいわばプロデュースする立場にもなっている彼女への最高のプレゼントだと思った。

個人的には。ライブ中で見せる大庭ちゃんの「にやっ」という笑顔が好きだ。ライブ中のアイドルの笑顔というと、ただ笑っているだけというのもあるけれどたまに「この瞬間楽しい」とか「(ウチワとか)私のグッズ作ってくれてありがとう」とかそういういわば素の笑顔というか、本音の笑顔が出てくるときがある。彼女の笑顔はあまり他のアイドルを見ていてお目にかけないタイプで…

なんというか、「自分の“思い描いたこと”が今目の前で”ちゃんと”形になっている」というところだろうか。その「思い描く」というのも細かいディテールまできちんと設計されていて、かつその形になるイメージもぼんやりとしたものではなくはっきりとしたものになっている…。建物で言えば外観も内観も含めて作り上げた完成予想図の通り、そしてさらにそれ以上の建物を目にしているというところだろうか。

なんていうか、表現者脳という感じ。デザイナーとかの脳だと思う。だから大庭ちゃんって表現者としてのアーティスト、という言葉が何より似合うと思う。

これはファンの方はどう思うかわからないけれど、この才能をより花咲かせたのは間違いなくトキヲイキルというグループに入ったからだと思う。今までのLinQでもできたことだけれどここまでいろんなことはできなかったと思う。ある意味解き放たれたという感じか。

少し話は変わるけれど、今これを生誕公演で売られていたCDを聞きながら書いているけれど、歌声といい、彼女の性格といい表現者脳といい、宇多田ヒカルを思い浮かべてしまう。

あと、何より印象深かったのは訪れていたファンだった。大庭ちゃんも「懐かしい人いっぱいおるねえ」と言っていたとおり、いわば同窓会になっていた。これはもう何より彼女ゆえ、なのだと思った。


一方のゆうみんの生誕は、偶然にも大庭ちゃんの一部と同様ソロライブだった。
個人的に興味深かったのは、「ハレハレ☆パレード」と「ウェッサイ!!ガッサイ!!」を一人でやったこと。今のLinQってどうもバタバタしていたり歌声が合っていなかったりしていて、それは20人近くでやっていたものを7人でやっているからだと前に書いたけれど、いっそ一人でやったらどうなるのかということに挑戦したのはツボだった。

最近カラオケでLinQを歌ったことがあるから(笑)よくわかるんだけれど、一人で歌って踊るって本当に大変だなと。振りをしようと思ってもマイクを持っているから片手でしかできなかったりとか。歌うことで一杯一杯になって振りに集中できなかったりする。

ただ、この「一人で全部やる」は来ていたメンバーも新鮮だったようで、なっちゃんだったかな、「一人でもちゃんと成立していてびっくりした」と言っていたほどだった。

たぶんだけれど「一人ではできないけれど仲間がいるからできる」ということを改めて自分自身に対して示したかったのかなあと思った。

これは私の感覚なのかもしれないけれど、LinQの曲をCDとかで聞くと、歌声としてはなっちゃんやゆさちゃんの声が印象に残る。後はさくらちゃん。ただ、ゆうみんの声ってCDではあまりわからなかったりする。要は目立たないというか(悪い意味で言っているのではないです)。「失恋フォトグラフ」のサビの最後の「にじんでいく」はある意味初めてLinQ曲で彼女の声が際立つパートというか。

あれはけっこう難しいパートだと思うけれどある意味さらっと歌いこなしていると個人的には思っていて。だからこの日の生誕公演はソロシンガー・高木悠未の歌声をたくさん聞けた思いだった。

特にこの日披露した大原櫻子のカバーは、LinQでは聞けない(当たり前だが)歌声がものすごく響いて、と言うか、「こんな歌声出せるんだ」と驚いたというか。すみきったとてもきれいな歌声だった。

LinQという枠を外すとこんな歌声が聞ける。それはちょっとした発見だった。また来年も生誕公演で彼女の歌声を聞きたいと思った。

今までのLinQだと生誕公演はベストホールでだったけれど、再開発後に会場も内容も自由になったのは結構面白いなと思った。ゆうみんも4人で一組のテーブルが配置されて、ちょっとしたディナーショー形式だったし。

※少し話は変わるけれどこの日はinterimで「失恋フォトグラフ」を披露した。曲の世界に合わせた表情を見せたももまゆちゃんもよかったけれど(この部分は元々持っていたけれどトキヲイキルでさらに開花した気がする)、歌い出しの「思い出なんかいらない」をなっちゃんがやって、もしなっちゃんがLinQに残り続けていたら今はこういう歌割りになったのかもしれない。


これは根拠なく、ぼんやりとした考えなのだけれど…大庭ちゃんとゆうみんってたまに間違われるくらい風貌が似てるという話があるけれど、私は何か、物事の捉え方も似ている気がしている。大庭ちゃんは捉えた後の表現をいろいろ思い巡らせたり、そしてそれをあまり力をかけず(力のいれ加減を知っているので)にさらっとやる印象があるけれど、ゆうみんはこれだと決めたら一直線に突っ走る。その違いだと思う。

大庭ちゃんは多彩な変化球を操って打者を翻弄する投手なら、ゆうみんは157キロの直球で勝負する投手というか。大庭ちゃんがロング・ショートの各パスを自在に操るボランチ(一言で言えば遠藤)なら、ゆうみんはドリブルで突っ走るウイングというところ。どっちがいいか悪いかではなく。


中野から一年たったこの日。二人がそれぞれに見せた今の姿は、まさにこの一年のそれぞれを物語っていた気がした。中野を基点として、いわば二人が別々の道を歩み始めたというか。V型というか。

だから一年後(中野を基点とすると二年後)、二人はまたどんな道のりを見せてくれるんだろう。ふと未来のことを考えていた。と同時に未来を思い浮かべられるということはなんとシアワセなことなんだろうと思った。この時期の福岡は新緑が美しいのだ。


Love in Qushu
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